友達とは何か?〜所有と支配の罠〜

あるテレビのトーク番組で20〜30代の人気女性タレント達が

「友達が他の友達と一緒に居たり出かけたりしていたりしたのを知ると、すごく嫌な気分になる!」
「あー、それわかる〜〜!!」
「なんで私は誘ってもらえなかったの?てなる」
「私だけの友達でいて欲しい」

などと話しているのを観ました。
あなた自身は
「是非こういう人と友達になりたい」
と思いますか?
(束縛嫌い自由好きの筆者には全く理解出来ない感覚ですが・・・)

多くの人から認知されており、マスコミから引っ張りだこの有名タレント。
しかし人気者だからといって、幸福感に持たされているわけとは限りません。

この思考の裏側にあるのは一体、何でしょう?
それは〝恐怖心〟です。

芸能人であれば
「やっと手に入れた人気を失いたくない」
「もっとメディアに出続けていかなければ、自分の価値が失われてしまう」
「今は周囲から認めれれているが、明日は嫌われてしまうのではないか?」

といった恐怖心は半端なものでは無いでしょう。

有名になればなっただけ、周囲の目線に晒されます。
知名度が 1 しか無かったとすれば、マイナスな要素が与えられて失ったとしても -1 になるだけ。
しかし、知名度が 1000 であれば、たった一つのマイナス -1 が掛け合わされただけで -1000 に急落。
スキャンダルで叩かれた有名タレントの例を見れば一目瞭然。

そして、ファンどころか、プライベートの友達一人にさえ同じ感情がつきまとってしまう有り様。
芸能人に限らず多くの人々が、このような恐怖心に心を侵されてしまっています。

「友達を失ってしまわない様に上手く取り繕わなければいけない」
「世間から社会からうしろ指をさされない様に振る舞わなければ嫌われる」
「SNSでいいねが貰えなければ私は価値が無くなってしまう」

この恐怖心さえ消えてしまえば、人はさぞご機嫌さんでいられることでしょう。
こういった恐怖心の根本には、

①所有の概念
②支配コントロールの思考

という2つの観念があります。

①所有の概念

そもそも友達とは何なのか?
これについては人それぞれでしょうが、少なくとも上記の様な思考の人にとっては、自分の孤独感を埋めるための道具に過ぎないのかも知れません。

〝私の友達〟という風に〝私の〟がついた時点で、所有権を得たと感じているのです。
友達に限ったことではなく、

・あたしの彼氏
・僕の
彼女
・私の
旦那
・おれの

・私の
フォロワー

といった具合に〝自分のもの〟になったと頭(=マインド)が認識します。
これが所有の概念です。

②支配コントロールの思考

所有したモノは自分のモノ。
自分の都合の良い様に動いてくれて当然。
自分の機嫌を損なう様な言動は許されない。

「俺のモノは俺のモノ、お前のモノは俺のモノ」
というジャイアン(ドラえもん)の有名な台詞がありますが、笑い事ではなくまさしくこの思考!
いかに多くの人々が知らず知らずの内に、この思考に堕ちていることか!?
そして、ここには落とし穴があります。

〝私の〇〇〟が増える嬉しさ、喜び
それだけで済めば良いけど、その裏面にはびこるのは
得たモノを失うことへの不安、恐怖

「自分の都合良い存在でなくなってしまう」
「自分のものではなくなる」

という恐怖心。
せっかく自分のモノになった友達を失う恐怖とは、すなわち孤独感。

この孤独感から逃れたくて仕方がなくなるのです。
そこに溺れた者は嫉妬深くなり、
「友達が他の子と遊ぶのが嫌だ」
「彼女の浮気が許せない」
「一緒に居ない時間にも私の事を思っていてくれないと彼氏失格」

という〝ドロドロとまとわりつく思念〟の持ち主となります。
この思念(=重い波動エネルギー)こそが、支配コントロールの思考です。

友達とは契約してなるもの?

先に挙げたタレントさんは
よく食事やお茶を一緒にして仲良くなるだけでは友達になった、とは思えず
「友達になりましょう」
と言って了承しないと友達にはないのだそうです。

こうした〝契約〟が無いと不安なのでしょう。
そして一旦、契約を交わしたらジャイアン思考が発動しストレスにつながる、という連鎖。
冷静に考えれば滑稽ではありませんか?(笑)

世の中には〝嫉妬させたい〟〝嫉妬されたい〟という重いドロドロ関係が好きな方もおられるので、そういう志向の人はその世界を充分にご堪能下さい。

ご機嫌さんでいる方法〜違いを受け入れる〜

しかしながら
「そんなストレスから開放されて軽くなりたい!
こんな事に囚われている自分をやめたい!」
と本気で思われるあなたには、ご機嫌さんの軽い世界へ移行出来る、こんな方法があります。

そもそも人は誰でも孤独なのです。
体が分離している以上、どこまでいっても人は孤独
その穴を埋めようと躍起になるのは、ありもしない幻を延々と追いかける行為

そもそも、他人の事を
・自分と同じ人間
・この常識に従って当然

という思い込みが間違いなのです。

自分と他人はイヌとネコぐらい違うのです。

犬が猫に
「お前はどうしてワン!と言わないのだ!?」
て、怒りませんよね?

例えば〝自分は目の前のテーブル〟〝あの人はグラス〟と感じてみる。
テーブルは〝物を置く〟という役割を果たしてくれています。
グラスは〝飲み物を入れる〟という役割を果たしてくれています。

それぞれに違う役割があって、世の中は成り立っています。
違いを認め、受け入れ合う事で心穏やかな関係が築かれます。

感情的になって心が乱れた時には、深い呼吸で息を整えながら、そんな風に違いを楽しむ余裕を取り戻されてはいかがでしょう?

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